吉田美奈子とCCCDとマーケティング

「屁のカッパ」発言で色々と物議を醸していたが、今回「CCCD撤回発表」。
以前の発言に対して責任を問う向きがあるようだ。

私は「大」が付くほどではないが、吉田美奈子のファンである。
正直言って、彼女自身にそういった発言の責任を求める気は、私にはない。
基本的に「天然」な人で、それが彼女の魅力の一部を形作ってもいる、と思うからだ。
だから、どちらかというと、彼女の周辺の人たちに、
「誰か止められなかったの?」
と尋ねたい。

ああいった発言を、「リスクの内」と我慢できる人は、
元からの彼女のファンしかいない。そのファンにすら、疑問の声が出ていた。
その他の人たちに対しては、反感を買うだけだ。
この時点で、新規ファン(単に購買者といってもいい)開拓の芽を潰そうとしている、
としか思えない。そのつもりはなくても、結果的にはそういう効果があった。
実際に彼女の音楽を聴いたことがなく、そしてCCCD問題に関心がある人にとって、
吉田美奈子とは「屁のカッパと発言した歌手」でしかない。
彼女の音楽を聴く気になるだろうか?とてもそうは思えない。

彼女の購買層を考えてみよう。
彼女の今のポジションは、既にある程度キャリアを積み重ね、
それなりに安定したファンがいる「中堅」から「ベテラン」にあたる。
メディア露出の仕方、売り方を考えると、今後、大量に新規ファンが増えるとは余り思えない。
そうなると、闇雲に新たな展開をするより、今までのファンを大事にしていくべきであろう。
しかし、断続的にしか活動しない彼女に付いてきたファンは、
「音楽を意識的に聴く」タイプの音楽愛好家が多いと思われる。
「流行っているから」ではなく、好みの音楽を能動的に捜し、
自分の意志で選んで聴く人達。一番得難い、そして有り難いはずのファン層。
そして、彼らこそ、CCCDに一番拒否反応が強い人たちなのだ。
もろに直撃である。「屁のカッパ」発言に面した彼らの苦悩は、想像するだに余りある。

ファン層がかなり被っている山下達郎が、
CCCD拒否宣言」したのと好対照だ。
彼はこのことで、ファンからの「音にこだわる音楽家」としての信頼を更に厚くした。
何故これだけ違ってしまったのか?

吉田美奈子は、CD、レコードなど、音盤の形式に殆ど興味のない人のようだ。
だから、規格外だなんだと騒ぐ人の気持ちが判らない。
「コピーガードで起こるらしい多少の音質の高低などどうでもいいではないか。
 そんなことよりも、中身の音楽を聴いて欲しい」
という主張が、「屁のカッパ」という表現になったとおぼしい。
CCCDに与した」というより、「そんなことどうでもいい」という方が、彼女の意識に近いのだろう。

うがった見方をしてみる。
あの時期、多少、政治的なセンスがあれば、
「今は、CCCDに与するより、反対の立場に立った方が、
 より能動的な音楽ファンに好感を持たれる」
と計算して行動することも出来ただろう。もしくは
「私はしたくないのだけど、avex側に強要された」
と言って同情を引くことも出来ただろう。
発言自体、あえてする必要はなかった。実際、殆どの音楽家が様子見だったとおぼしい。
少なくとも、反感を買うことはなかったはずだ。
しかし、彼女は積極的に肯定した。愚直なくらいに。
別な言い方をすれば、まさしく「形式よりも中身だ」という、「音楽馬鹿」の証明ではないか?

ただし、CCCD問題への認識が甘かったこと、
挑発的な発言で反感を買ったことは、「音楽馬鹿」である事で相殺される訳ではない。
その代償は、多分これから彼女自身が払っていくことになるのだろう。
本人は「そんなことで離れるファンならいらない」と思っているのだろうが。
「音楽だけを聴いてくれるファンがいればいい」と。
だから、彼女の発言責任を追及しようとしている人がいるのかも知れないが、
多分無駄だろう。
本人としては、その時の信念に従って発言しただけにすぎない。
元々違う次元の話をしているのだから(どちらが上というわけでない)。すれ違うだけだ。

そして、ファンを「侮辱」した発言を表に出させてしまったのは、
周囲に状況判断の出来るスタッフがいなかったせいかなあ、とも思い、
彼女自身のためにも残念に思うのだ。
あの発言及びそれによる余波の為に、彼女の素晴らしい音楽に触れる機会を、
もしかしたら何人かが失ったのかも知れないと考えると。

まあ、「天然」の人を扱うのは難しいですからねー。
それは以前自分が痛感したこと…。