ロッテンマイヤーさんからフネさんへ

現在、NHK-BSで名作アニメ「アルプスの少女ハイジ」放映中。
今は丁度フランクフルト編で、ロッテンマイヤーさんの
「アーデルハイド」(彼女だけハイジを本名で呼ぶ)への怒りがたびたび爆発している。
しかし、我々は何故、「ロッテンマイヤーさん」と「さん」付けで彼女を呼んでしまうのだろう?
「セイラさん」に通ずるものがあるのかも知れない。


今回気付いた事。
エンディングの配役クレジットで、実はロッテンマイヤーさんは「贔屓」されている。
まず最初に当然
「ハイジ 杉山佳寿子 クララ 吉田理保子
が出る。
その次に
ロッテンマイヤー 麻生美代子 ナレーター 沢田敏子
と出て、その後はキャラクター名は出ずに声優名だけがまとめて出る。
召使い達は勿論、
ゼーゼマンさんやクララのおばあさんが出てもその他大勢扱いなのに、
ロッテンマイヤーさんだけは、ちゃんと別枠で役名と役者が明記されているのだ。
フランクフルト編は、ロッテンマイヤーさんが裏の主人公だったのだ。


まあ、この時期はおんじやペーターが出ておらず、
ロッテンマイヤーさんが出ずっぱりなので当然といえば当然。
アルムに戻ってからどう表記されるか注目してみよう。


又、ロッテンマイヤーさんは名作劇場でも屈指の嫌われ役として名高いが、
大人になって改めて見てみると、ハイジよりも彼女に同情する事も多い。
(だってハイジってやっぱり問題児だもの)
ロッテンマイヤーさんはただ、生真面目過ぎて柔軟性に欠けていた。
彼女だけがひたすら「アーデルハイド」と本名を呼び続ける事から考えても、
その生真面目さは明らか。
山育ちのハイジの個性は、都市部の文化で育ったロッテンマイヤーさんの理解の外にあったのだ。
そして、自分が理解出来ない行動原理を持つ人間を、彼女は全否定してしまう事しか出来なかった。
それが誇り高き近代ヨーロッパ文化人としてのロッテンマイヤーさんの限界だったのだろう。
クララ至上主義者であるロッテンマイヤーさんにとって、ハイジは排除すべき異物にしか見えなかった。
異端への不寛容が悲劇を生む一例である。


そして彼女は、磯野フネである事も忘れてはならない。
フランクフルトの生真面目女史は、海のように広い日本の母となった。


それにしても、全盛期の吉田理保子の声を毎日聞けるなんて幸せじゃのう。
引退とは、実に惜しい。