ウルトラマンメビウス第41話「思い出の先生」(改)

今更ながら、これを見て涙してしまった。
D


私は昭和46年生まれ。早生まれなので、意識としては45年度となる。
物心ついた頃、つまり昭和50年代前半には既にTVの本放送は終了、
受容としては主に雑誌展開と再放送となる。
コロコロコミックでの内山ウルトラ漫画の洗礼を浴びた世代である。


なので、マン~レオまでの視聴順はぐちゃぐちゃ。抜けも多い。
Qは白黒なので既に再放送がなかった。
時系列再構築は、有名なケイブンシャウルトラマン大百科に依る事となる。
後追いの悲しさで、活字情報で先に知ってしまう事が多く、
初見の衝撃を受け損なった感が強い。
「ウルトラ」シリーズは、すでに畏れ多い歴史上の存在だったのだ。


そんな我々世代にとって、子供時代にリアルタイムで見たウルトラといえば、
「ザ☆ウルトラマン」そして「ウルトラマン80」に尽きる。
「僕たちのウルトラマン」と言えるのは、この2つだけなのだ。


私自身は、熱心な特撮ファンだったわけではない。
普通の子供として、普通に子供番組を見ていた、というスタンスだったと思う。
当たり前のように「80」は見ていたし、普通に好きだったように記憶している。
(路線変更については全然気にしてなかった)
しかし、かつては殆どネガティブな評しか見当たらず、
「80」を好きだったということを、公言する事が憚られるような風潮があった。


時も経った今となっては、相対化して判断も出来るようになって、
第2期ウルトラ再評価なんてことも言われるようになったが、
昭和時代はまだまだ記憶が生々しいせいもあってか、
第1期ウルトラ神格化、第2期低評価が多かった。
(友人の家でウルトラ第2期ファンコレを見て酷評に驚いた事を覚えている)
更に「ザ」「80」に至っては、殆ど「なかった」事にされていた印象がある。
CSやソフトのある今と違って、再見の機会も殆どなく、そういう評価がいつの間にか定着していった。
実際、絶対的な出来としては悪かったのだろう。そういう人が多いのだから。

(「おたく」という言葉もなかった時代、「大人が特撮を見る」困難さは想像に余りある。
そのために色々切り捨てていかねばならなかったのは、当時としては仕方がなかったと思います。
これは当時10歳だった私の正直な気持ちです)


でも、それがどんなひどいものであろうと、
私にとって「僕たちのウルトラマン」といえば、「ザ」であり、「80」なのだ。
それは、何と言われようと翻すことは出来ない。
このメビウス第41話では、それを高らかに宣言してくれた。
その事に、涙したのだ。


大体、最終回は「あっ! キリンも象も氷になった!!」というサブタイトルで馬鹿にされまくっているが、
ウルトラマンに頼らず人間自身が地球を守る」という昔からの共通テーマを高らかに掲げていて、
結構感動的だったんだぞ、
などという、世評への不満もあったりするのだが….。


ちなみに仮面ライダーについても、全く同じ事が言えて、
リアルタイムで見たのは「仮面ライダー(スカイライダー)」「スーパー1(ドグマ編)」だけ。
ジンドグマ編は見ていない。
これは全くの個人的な体験だが、「スーパー1」を「ああ、今日で最終回かあ」と見ていたら、
終わった後に、画面に青バックで小さなスーパー1の全身像が出て、その横に
「ドグマ編は終了しました」
と文字が出たのをはっきりと覚えている。
「なんだ、まだ続くのか」と、
最終回だからと入れ込んで見ていたのに、何だか馬鹿にされたような気分だった。
しかも、ジンドグマ編からは朝に時間変更。見られない時間だった。


そしてその青画面をきっかけに、私は特撮を見なくなった。
日付を調べると、「80」最終回が昭和56年3月25日、
「スーパー1(ドグマ編)」の最後(23話)が2日後の3月27日。
この時、私は10歳。
今のように「おたく」が顕在化していなかった時代、この年齢での子供番組「卒業」はごく普通の事だった。
そういう意味でも、私は普通の子供だったと言える。


次に見るようになるのは、20年近く後、
キッチュな映像」としての特撮を再発見してからのことになる。