松井の覚悟、イチローの闘志

WBCで日本が優勝した。
同じ組同士で戦う準決勝に代表されるの奇妙な組み合わせ、
大変素晴らしい判定をしてくれるボブ君などの難関を乗り越えて
この栄冠をつかんだ選手達には、大拍手を送りたい。
ガチンコの国際試合は大変面白かった。


日本人選手で一番株を上げたのはイチローだろう。
普段無愛想な印象の強い彼の、まるで人が変わったように闘志を前面に出したプレイに、
「印象が変わった」「感動した」「陰のMVPだ」
と言う人は多い。
逆に株を下げたのは松井秀喜である。
松井が代表を辞退したことに驚いた人は多いだろう。
今までの彼のパブリックイメージからすると、喜んで参加してくれる筈だと思われていたからだ。
それは、WBCで必死にプレイするイチローと余りに対照的で、
「失望した」「あんなに自分勝手だとは思わなかった」という声が多い。
江夏豊は、先週の週刊プレイボーイの連載で「松井は社交辞令ばかりで器が小さい」と批判した。
(江夏は「意気に感ずる」タイプの人なので特に燗に障ったのだろう)
「イチロー、松井超えた」などという見出しを出した夕刊紙もあった。
http://news.goo.ne.jp/news/fuji/sports/20060224/320060224024.html?C=S


MLB組でも、大塚は出場したが井口は辞退した。
しかし松井の辞退と比べるとその衝撃度は小さかった。
それだけ皆、「松井は出てくれるはずだ」という妙な安心感があったのだ。
よく考えると根拠のないものであったのだが、松井には
「必ず皆がやって欲しいところでやってくれる男」
「周囲の期待を裏切らない男」
というパブリックイメージが出来ていたのだ。
それは巨人時代の不動の4番振りであり、米ヤンキースでの活躍振りである。
又、グラウンド外での素行でも優等生振りが際だっており、
マスコミには分け隔て無く全部に対応、「人格者」という評価が定着していた。
その彼が、突然豹変したかのように出場辞退。
所属球団が難色を示しているとはいえ、松井ならそれを超えて必ず出てくれると皆思っていた為、
そのショックは大きかった。
松井が「日本の4番」を打つと皆思っていたのだ。
他球団のファンですらそう思って全く疑問に思わなかったのだから、
それだけ松井の存在感は際だっていたのだ。


しかし、思い出してみると、松井は昔から「頑固」だった。
巨人時代、毎年フォームの改良を試した。打法を評論家筋や長嶋監督から批判されることも多かったが、
彼は頑として聞かず、自分の納得のいくまで改良を続けた。
よく考えれば、当初から不動の4番だったわけでもない。最初の頃はなかなか結果が出なかった。
その後も落合、清原に4番を阻まれ、何度も壁に当たった。
スランプも多かった。それをねばり強く自分の力で跳ね返した。
松井が大スターとなった今、皆忘れているかも知れないが、
一気に脚光を浴びたイチローとは違って、松井は徐々に徐々に階段を上っていったのである。
そして、巨人時代の最後の数年、「4番松井」を誰もが当然に思っていた。
長嶋、王以来、これほど疑問を持たれなかった「巨人の4番」もいなかったのではないか。
(原はいつも過小評価されて叩かれて可哀想だったが、
叩かれても仕方のないひ弱な部分があったことは否定できない)


昔何かで読んだイチローと松井の比較。
イチローは警戒心が強く、なかなか心を開いてくれないが、
 一度開いてくれると何でも話してくれる。
 松井は誰にでも分け隔て無く接してくれ、話してくれるが、
 心の奥底までは見せてくれない」
江夏の「社交辞令ばかり」というのは、あながち的はずれでもないのかも知れない。
だが、その「社交辞令」ですら出来ない人がどれだけいることか。


「巨人の4番」ほど、雑音の多いポジションもない。それを黙らせ、打撃に専念する事、
それが彼の中での一番の課題になっていたのかも知れない。
誤解を恐れずに言えば、「人格者」として振る舞い、「社交辞令」を振りまく事も、
雑音を減らす為の手段として機能していたとも言える。
「巨人の4番」である以上、マスコミから一番の標的にされることは仕方がない、
「ならばそれをある程度積極的に引き受けることで、それ以上のやっかい毎を減らそう」
となっていてもおかしくない。
甲子園での5打席連続敬遠、巨人ドラフト1位指名以来、彼は常にマスコミ、世間の注目の的だった。
その中で生き抜く為に、そういうある意味「偽善」的な手段を身につけていったのかも知れない。
しかし、「偽善」というには何と手間がかかって誠実な「偽善」だろう。
その手間を惜しまなかった所が、よくいる「エセ人格者」とは根性が違う。
そしてそれは全て、余計な雑音を排除して自分の打撃に専念するために機能させている所が、
松井の松井たる所以。
彼は、自分の納得のいく打撃をするためなら、手間を惜しまないのだ。


今回のWBC出場を辞退したら、日本の野球ファンから失望される事は判っていただろう。
自分が今まで積み上げてきた「人格者」イメージが崩れること、
日本を捨てて自分の都合を優先させた、というイメージダウンが起こることも、
自分の社会的立場を常に意識して行動してきた松井には判っていたに違いない。
それでも彼は、WBCを辞退して自分のペースで打撃を調整することを選んだ。
その覚悟は並大抵のものではない。
ある意味「日本の全野球ファンを敵に回してでも、自分の納得のいく打撃にこだわる」決心をしたのだ。
思い出せば、メジャー移籍の時だってそうだった。
彼は「日本の野球ファンの皆様からは裏切り者扱いされるかも知れないが」と言って旅立ったのだ。
今では「ヤンキースの松井」に何の違和感もなくなっているが、
それは活躍出来たからこそ。最初の1年目は賛否両論だった。
(それこそ巨人時代と同じように)年を追う毎に成績を上げる事で、
メジャー移籍に不満を持つファンにも納得させたのだ。
しかし、去年の成績、打率は3割に載せたがホームランが減ったことに、
彼は決して満足していないだろう。
それが今回の「調整を優先させてWBCを辞退する」選択の原因となったことは想像に難くない。


彼の中での最優先は
「自分の納得のいく場での、納得のいく打撃」
(そしてその結果チームが優勝する事)
彼がそのエゴに忠実なのは、なにも今始まったことではなかった。
そしてその「エゴに忠実にする」というのは、非常に勇気のいることなのだ。
「1番イチロー、4番松井」という夢のオーダーを見られなかった事、
それは非常に残念だが、それは我々の夢であって松井の夢ではないのである。


そしてイチローは、本来彼が持っていたであろう陽性のキャラクターを爆発させ、
WBCでブレイクした。
元々、オリックス時代初期の彼は明るかったという証言は多い。
注目を浴びたことでマスコミとの軋轢が増え、徐々に内に籠もり勝ちになっていったのだ。
今回のWBCで、野球の原初的な楽しさを思い出したのかも知れない。
低迷するマリナーズ内では得られなかったであろう、
「頂点を目指す」というモチベーションを得られたことも、想像に難くない。
個人成績がいくら良くても、チーム状態が悪ければ居心地が悪いだろう。
その点、WBC王ジャパンには「世界一」という明確な目標があり、
それを目指せるだけの仲間が、そして固い意志があった。
イチローのコメント1つ1つに、それらに触れて驚喜していることが窺える。
開放感に溢れたイチローという素晴らしいものを見られた、それもWBCの大きな成果とも言える。


松井とイチローの比較は無意味である。
全く持ち味の違う正反対のプレイヤーである。上下など付けようがない。
それはお互いが一番判っているだろう。
我々は、これだけ優秀な選手を同時代に2人も見られるという幸運に、
改めて感謝しなければなるまい。