「人間60年 ジュリー祭り」に行く
東京ドームで行われた沢田研二のライブへ行く。
全80曲、還暦のジュリーは歌い切った。
キーを下げることもなく。
行く前に知人のF氏と
「ダーリングの最後の部分、あれはもう無理かなあ」
と言っていたが、全くの余計なお世話だった。
走り回った直後でも息は切れず、声は衰えていなかった。
とにかく、ベラボウに歌が上手い。
40年間の蓄積。
今でも毎年アルバムを出し、ツアーをしているのはダテではない。現役歌手の証明だ。
本当に凄い。
往年のヒット曲も、最近の曲も、並列に歌われた。
どうしても反応は往年の曲の方が多いが、ジュリーにとっては同列なのだろう。
先月NHK-BSで放映されたジュリー特集を見ていて、気付いたことがあった。
ソロ初期のジュリー、昭和48年紅白での「危険なふたり」辺りの仕草、動きが、
今我々が西城秀樹のそれとして認知しているものにそっくりだということだ。
(髪型もそっくりなのは笑える)
時系列的には当然、ジュリーの方が先である。
だからといって、別に「ヒデキがジュリーのパクリだ」と言いたいわけではない。
西城秀樹自身は「自分は洋楽小僧だった」と言っているし、
意識上ではミック・ジャガーやロッド・スチュアートなどの方が影響大だろう。
(ちなみに昭和47年紅白での「許されない愛」のように歌い上げるタイプの曲では、野口五郎を想起させる)
60年代終わりのGSブーム以降、歌謡曲の音が明らかに変わった。
それ以前のジャズを基調とした音に変わって、ロックを基調とした音が主流になっていく。
ステージアクションも歌い方も、当然変わってくる。
そして70年代に入り、ロック色の強い男性歌手が登場してくるに当たって、
その先駆者であった沢田研二が、出発点で自然に「ひな形」として機能した様に思えるのだ。
ジュリーだってそれ以前の歌手の影響を受けた部分があっただろうし、
これはよき歴史と伝統の引き継ぎで、いつの世にもあるものなのだ。
「勝手にしやがれ」以降、ジュリーは曲毎にキャラクターを大きく変化させ、
その変化そのものでアピールするようになる。
そして、当時としては衝撃的だった男性の化粧で、中性的な魅力を振りまいた。
世間一般に現在認知されているジュリーのイメージは、これ以降だろう。
西城秀樹はマイクスタンドアクションを取り入れたり、動きを強調したりして、
荒々しい男性的な魅力を前面に押し出す。
そして、より大衆に開かれたエンターテイメント色を強く打ち出すようになった、
「ヤングマン」以降の印象が強いだろう。
どちらもそれぞれの個性を確立させたのであり、非常に魅力的な歌手となったのだ。
今日のジュリーはとにかく素晴らしかった。
余り知られていない90年代以降の曲も、いい曲がいっぱいあった。
(この点、11/3NHK-FMでの「今日は一日ジュリー三昧」は素晴らしい予習になった)
今後、CDショップに行ったらまず「さ行」を探す事になりそうである。
個人的には、「花・太陽・雨」を生で聴けたのが非常に嬉しかった。
去年のG-sessionライブで、自分でギターを弾きながら歌った曲だったので。