NEC PC6001が欲しかった

古本屋で購入。
涙が出るほど懐かしい。P6、欲しかったなあ。
(PC6001はP6、PC8001はP8と呼ばれていた)


80年代初頭、私は「ナイコン少年」だった。
きっかけはすがやみつるこんにちはマイコン」を読んだこと。

http://www.m-sugaya.com/arashi/pc-index.htm
コロコロコミックに連載されていた「ゲームセンターあらし」のキャラクターで
マイコン(当時は「パソコン」とは呼ばれていなかった)を優しく解説したこの本を読んで以来、
私は「マイコン欲しい病」に罹患してしまったのだ。
そして同じく「マイコン欲しい病」にかかった友人I君に
ベーマガ、あの「マイコンBASICマガジン」を紹介され、のめり込むことになる。
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初めて買ったのは83年2月号。その後バックナンバーを注文して、82年10月号までは揃えた記憶がある。


ベーマガは夢の雑誌だった。
こんな安い値段でこんな色々なマイコンの記事が、ゲームのプログラムが載っている!
マイコンは買うなんて夢の又夢、プログラムを入力する事も出来なかったが、
とにかく見ているだけでもよかった。妄想の中でプログラムが動いていた。
ベーマガを隅々まで眺めているだけで幸せだった。


当時、マイコンを持っていないのにマイコン雑誌を買ったり、
マイコンを欲しい予備軍は「ナイコン族」と呼ばれていた。
私はまさしくそれだった。
今のように一家に1台パソコンなんて時代ではない。マイコンは高価なおもちゃだった(と見なされていた)。
余程余裕のある家か、親自身がマイコンに興味のある家でなければ買って貰えなかった。
運良く買って貰えた友人の家に行っては、羨ましくてため息をついたものだ。
(「信長の野望」のテープロードに10分以上かかっていたが)


当時、水戸の川又書店2階の一角にマイコンが展示販売されていた。
たまに用があって水戸に行くと、帰る電車の時間までここで過ごした。
シンクレアZX-81、日立ベーシックマスターJr.、松下JR200、
シャープMZ2000、富士通FM8、EPSON HC-20、ソードM5などなど。
まだWindowsなんて影も形もない、Macも発表されていない。
DOSすらなく、マイコンは基本的にBASICでプログラムを入力するものだった。
後に「パソコンのカンブリア爆発」とも称される、8ビットマイコン百花騒乱状態だった。
当然プログラムなんて出来やしない。ただ何となくいじくっているだけで楽しかった。
うろ覚えのBASICで、
10 PRINT"バカ"
20 GO TO 10
と打ち込んでRUNして逃げたことも何度もあった。
実に頭の悪い中学生だった。


そして、「こんにちはマイコン」中でメインで取り上げられていたこともあり、
一番欲しかったのはNEC PC6001だった。
当時、NECというのは国産マイコンの中でもブランド感があった。
(NEC、シャープ、富士通が「御三家」と呼ばれ、しのぎを削っていた)
そして、PC8001やPC8801はとても手が出ない値段だったが、
PC6001なら10万を切っていて、かすかに手が届く可能性が感じられたのだ。
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欲しかったなあ、本当に。


しかし一向に手に入れる目処は立たず、マイコンはどんどん新機種が出ていく。
PC6001も時代遅れになっていく。
その中でも意地になって「P6mkIIじゃなくてP6が欲しい」
と言っていたのだが、余りの見通しの暗さ(まるで買って貰えそうになかった)に
次第にマイコン熱も萎んでいく。
同時期にアマチュア無線の免許取得にも挑み、これは取得したが、
やはり無線機の当てが無く開局できなかった。
(アマチュア無線は国家試験に合格して免許証を取っても、
それとは別に無線機を実際に用意し「開局」手続きをして免許状を取らないと電波を出せないのだ)
ラジオ自作通信講座の資料を請求したりもしていた。
(親に見つかって「そんな怪しげなものは止めなさい!」と怒られて実際にはやらなかった)
こうやって思い返すと、中学時代には実は理系に行く可能性があったらしい。
マイコンが手に入らなかった」「無線開局出来なかった」という実際上の挫折を経て、
その後文系に傾斜していったのかも知れない。
でも数学は得意ではなかったから、結局収まるところに収まった、という気もする。


ベーマガはたしか1984年終り頃に買わなくなった。Superソフトマガジンがまだ別冊形式だった時期だ。
1985年頃に音楽に目覚め、主な興味の対象がマイコン・無線からそちらに移った。
(最後に新製品として目にしたのはNEC PC100や日立S1)
それ以降、殆どコンピューターとは没交渉となった。御陰でPC9801、DOS全盛時代は全く知らない。
そして私が「マイコン」(私のコンピューター)を最初に手に入れるのは、
はるか10年以上先、1998年までずれ込むことになる。
それは、マイコンを一番欲しかった中学時代、1980年代初頭には影も形もなかったMacintoshだった。