7/15 サイモン&ガーファンクル 武道館公演


高校の時にギターを始めたのは、ポール・サイモンになりたかったから。
S&Gの曲は何度聞いたか判らない。
その中でも、散々ギターで練習した「キャシーの歌」、
1番好きな「ニューヨークの少年」を生で聴くことが出来るとは、
思いもしなかった。
20年前の自分に教えてあげたい。


サイモン&ガーファンクル 名古屋公演の演奏曲目
曲目は大体名古屋公演と同じ、
ただ、ポールソロ曲の17曲目が「グレイスランド」になっていた。


アメリカ」でのドラムフィル、高音部でのベースフレーズ、
「アイ・アム・ア・ロック」のギターオブリなど、原曲の耳に残るフレーズは忠実に再現し、
さらにライブで映えるよう、ギターソロやリズムのキメなど、バンド演奏をダイナミックにフィーチャーしていた。
「コンドルは飛んでいく」のイントロを再現したのは素晴らしかった。
ただの焼き直しではなく、かといって崩しすぎず、
観客の思い入れとも上手くマッチしたアレンジだったと思う。


改めて聴くと、ポール・サイモンアコースティック・ギターの上手さに気付く。
派手なテクニックをひけらかす訳ではないが、自由自在に操り、
完全に自分の身体と一体化していた。


そして、アート・ガーファンクルの歌の透明感も、失われてはいない。
ソロ曲はその歌声そのものを聴かせるタイプのもの。
「明日に架ける橋」のようなヴォーカルを全面に押し出し、メロディを歌い上げるタイプの曲は、
アートの存在あってこそ生まれてきたもの。

S&Gの殆どがポールの作曲であるにも関わらず、
よりリズミックで、歌までもリズムに一部になっているポールのソロ曲とは明らかに傾向が違うのが、
今回それぞれを続けて聴いてみてよく判った。


「明日に架ける橋」「サウンド・オブ・サイレンス」の印象が強いせいか
S&G自体を余り聴いたことがない人によく誤解されがちだが、
別にアートがリードヴォーカル、ポールがギターとコーラス、ではない。
むしろポールが主メロ、アートがハモリの方が多い。
主メロも作曲もほぼポール、ともなれば、S&Gはポールのワンマングループという事になりそうだが、
それならば解散する必要もないし、ポールのソロ曲があれだけ異なったサウンドになる事もない。
そしてなにより、「明日に架ける橋」の音楽性を引き継いだのは、作曲したポールではなく、
「歌っただけ」の筈のアートである。
アート・ガーファンクルは、ただのハモリ屋ではない。
サイモン&ガーファンクル」というデュオの音楽性に、アートは明確に影響を及ぼしていた。
当たり前だが、やはりソロとデュオは違うのだ。
そしてその2人の微妙なバランスこそが、サイモン&ガーファンクルだったのだろう。


途中で歌った「ヘイ・スクールガール」「ビーバップ・ア・ルーラ」に、
彼らのルーツであるエヴァリーブラザーズの影響が見て取れた。
なにより、本来ルーズなセクシーさを前面に出した曲だった「ビーバップ・ア・ルーラ」をも、
エヴァリー風に端正にハモる彼らに、
初期ロックンロールの過剰な肉体性、ヒーロー性を打ち出せない、
つまりロックンロールスターになりきれない彼らの限界を見ると同時に、
その限界にこそ、S&Gの端正な音楽性に繋がっていく要素が見て取れたのが面白かった。
アコースティックギターを構える背の低いポールのガニ股と共に。
(要するに、ルックスは余りかっこよくないのだ)