ジミー・ペイジさんまたまた幻惑するの巻

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You Tubeにアップされていたジミー・ペイジのソロライブ隠し録り動画。
この曲はレッド・ツェッペリンのライブ中ハイライトとして長年演奏されてきた、ご存じ「幻惑されて」。
いつも20分以上、長ければ1時間もの長尺になる曲だった。
いつの映像か判らないが、ここではコンパクトに(といっても8分)やっている。


これを、「新しい物がない」「過去の遺産で食っている」と批判するのはたやすい。
今までロックは、そういった革新至上主義で進んできた。
過去の物は全否定して、「革命的!」「過去にない全く新しい音!」と音楽誌に銘打たれて、
どれだけの音が出ては消えていったことか。
(売らんが為の大げさな宣伝文句であることは重々承知しております)


でも時々思う事がある。
「そんな革新的な音が、過去に類を見ない新しい音が、そんなたびたび出来るものなのか?」
「そうそう画期的な事が頻繁に起こってたまるか」
「毎月革命が起きるもんかよ」
と。


このジミー・ペイジのライブには、かつて共にこの曲を熱く演奏したツェッペリンの仲間はいない。
ロバート・プラントジョン・ポール・ジョーンズもいない。
勿論死んだジョン・ボーナムもいない。
でも曲は、かつてのツェッペリンのレパートリー。
そういう意味でも、「昔の名前で出ています」的なものである事は否定できない。


でも、もういいじゃないかと。
彼は既に、「レッド・ツェッペリン」という名の革新をやり遂げたのだ。
「幻惑されて」のリフが始まった瞬間、
バイオリンの弓を彼が持った瞬間、
拳を振り上げて大喜びする観衆。
それが、過去に彼がいかに大きな事をやったかを証明している。
彼は既に、十分頑張った。
人生の中で例え1回でも、大きな事を出来たのなら、もうそれで十分じゃないか、と。


というわけで、私は所謂「一発屋」にも肯定的だし、
再結成して過去のヒット曲だけでツアーする「ノスタルジア・サーキット」にも肯定的。
過去の名曲を聴かせてくれることに罪はない。ノスタルジア万歳だ。
そりゃあ、継続的に凄いことをやっている人が一番凄い。
でも、そのただ一度のヒットすら出せない人だって一杯いるのだから、
一度だって凄いことなんだ。
(当然ですが、ツェッペリン一発屋ではありません)


だって、目の前で「幻惑されて」のリフをジミー・ペイジが弾いたら、
それだけでもう十分じゃないですか?
そこに「ロックは過去を振り返ってはならない」やら
「常に革新的でなくてはならない」などの理屈はいらない。

ロックだって、もう四半世紀もの歴史があるのだ。既にそれなりの変化(あえて進化とはいわない)を遂げて来ている。
最初に書いたとおり、
「そんな頻繁に革命が起こってたまるか」。


なので、大滝詠一のニューアルバムが20年以上出ない事も肯定します。
もう多分やる気ないんだよ。既に「ロンバケ」という金字塔作っちゃったから。
もう後は余生でいいです。
なので、過去の音源だけは全部出しておいてくださいね、大滝さん。それで我慢しますから。
(こっちが嫌だといっても一杯出すかも知れぬが)